現代の高度技術社会は、エネルギー問題、安心安全の確保、環境保全、情報伝達などの分野を問わず、常に高性能、高機能な新素材の開発とともに発展してきた。人間社会がさらに高度化、複雑化するに伴い、材料の高性能化、高機能化、精緻化、高信頼性に対する要求は益々高くなり、これに応えることのできる革新的な材料の創出が切望されている。しかし、現在、新規材料開発は広い意味での閉塞状態に陥っている。これは、従来の材料開発の多くが経験とノウハウに基づいて行われてきたことに起因しており、次世代の材料創出の手法としてはもはや限界がきていることを示唆している。また、これまでの新たな材料の開発もその多くが偶発的な発見・発明に頼らざるを得なかったことも否めない。この状況を打破するためには、材料機能を決定している普遍的原理を解き明かし、それに基づいた合理的な材料設計・開発を進めることが唯一の方策となる。本領域研究は、このような問題意識と動機のもとで立案されるに至った。
 
結晶の表面、界面、転位、原子空孔などの格子不整合領域は、その周期性の乱れに起因する特異な電子構造を有しており、完全結晶には見られない機能発現の起源となっている。このような不整合部近傍1ナノメートルオーダーの局所領域には添加元素(ドーパント)や不純物が偏在し、これが材料機能に決定的な役割を持つ。これが本領域研究で対象とするナノ機能元素である。格子不整合領域に偏在する機能元素については、不純物偏析という用語を用いて古くから議論されてきた。鉄鋼材料では ppmレベルのリンや硫黄が粒界に偏析し、社会の安全安心を脅かす重大な脆性破壊を引き起こす。逆に、高度情報社会を支える酸化亜鉛バリスタや高靱性窒化ケイ素セラミックスは、粒界への重金属イオンの偏析を効果的に利用した機能材料として知られている。また、様々な化学反応を誘起する触媒表面においては、表面のナノ機能元素を積極的に利用している。さらに、転位近傍への不純物濃縮による金属材料の硬化は、実用構造材料の強化に広く応用されている。このようなナノ機能元素の特徴は、1ナノメートル程度の局所領域に存在する微量元素が材料のマクロな特性を大きく変化させるという点にある。このようにナノ機能元素は材料科学において極めて重要な役割を担っているにも関わらず、この事実を出発点とした材料設計・開発は驚くほど少ない。これは、ナノ機能元素についての定量的情報や機能発現メカニズムへの理解が欠如しているためと考えられる。
 
領域研究は、ナノ機能元素を活用した材料設計というコンセプトを体系化することを目的としている。これを実現するためには、ナノ領域に偏在する微量元素の存在状態を精確に実測するとともに、その機能発現の根源的なメカニズムを理解することが必要不可欠である。そのためには、ナノ計測技術と理論計算を効果的に駆使した研究展開が望まれるが、その空間的および量的分解能や計算精度がこれまでは十分ではなかった。しかし、最近数年間のナノ計測技術の進展には目覚ましいものがある。たとえば球面収差補正技術を駆使した最新の走査透過電子顕微鏡法を適用すると、不整合領域に存在する原子一個について、その位置や元素の識別のみならず、局所的な電子状態の解析まで可能となりつつある。これは,20世紀後半に確立された高分解能電子顕微鏡法が、格子の周期構造に基づいた干渉像を観察していたことに較べると、飛躍的な情報量の増加をもたらした。さらにナノプローブ電子分光法非接触型原子間力顕微鏡表面X線分光などにおいても様々な技術革新があり、これまでブラックボックスでしかなかった不整合領域におけるナノ機能元素の計測を、原子スケールで定量的に行うことが現実的視野に入ってきた。一方で、理論計算においても大きな進展があった。第一原理熱力学計算手法とマルチスケール計算技術の進歩である。ナノ機能元素の濃度や状態は熱力学により記述できるが、熱力学とは実験結果を整理する学問であり、実験結果無しに新しい系についての予測はできないというのが材料科学の常識であった。過去数年間に、この不可能を可能にする画期的な技術革新が生じた。これが第一原理熱力学計算法の出現である。この手法においては、自由エネルギーやエントロピーといった材料設計に必須となる熱力学関数の温度依存性を、第一原理計算法、すなわち実験的情報としてのパラメータ入力を一切必要としない電子状態計算法によって定量的に求めることができる。本研究で対象としているナノ機能元素のように、実験的情報が極めて限定的な系では、このような第一原理熱力学計算からの情報が極めて重要となる。さらに、一旦これらの熱力学関数が求められると、マルチスケール計算技術を駆使することにより、ナノスケールからマクロスケールに繋がる材料特性のシミュレーションも可能となる。
 
領域研究では、このような歴史的に重要な転機にある計測手法と計算手法をナノ機能元素の原子構造、状態、機能の問題に適用し、得られた結果をタイムリーに材料プロセス技術にフィードバックすることにより、これまでブラックボックスであったナノ機能元素を制御した新たな材料設計指針を構築し、これを具体的な材料開発という形で実証することを目的としている。すなわち、材料の格子不整合領域に機能元素を導入し、そこに形成されるナノ機能元素の配列や分布を任意に制御することにより、材料に新しい機能を付与した機能材料の設計と創出を行う。これにより、機能元素の状態-機能特性―プロセスの相関性が明確になり、ナノ機能元素の材料科学と呼ぶべき新たな学問体系が構築され、材料科学の発展に大きく貢献することが期待される。さらに、本研究で得られた成果を、論文、学会、特許、公開シンポジウム、研究開発支援などを通じて、広く社会に還元することで、材料開発研究分野にブレークスルーをもたらし、機能元素制御イノベーションともいえる材料産業全般への大きな波及効果も期待できる。本目的を遂行するためには,世界最先端の研究水準にある研究者が,専門領域の垣根を越えて集結・連携する必要がある。すなわちナノ計測分野、理論計算分野の研究者と材料プロセス分野の研究者が三位一体となった横断的な研究チームを組織することが必要であり、ここに特定領域研究の体制をとる意義がある。本領域研究の班構成は、(1)ナノ計測手法の確立と応用(A班)、(2)理論計算手法の確立と応用(B班)および機能材料統括(C班)となっており、効果的かつ効率的な連携研究を展開する。