転位強磁性について


当研究室では、結晶中の一次元の欠陥である転位を利用して、原子レベルの微細な領域に物性を付与する技術を多数開発しています。このページでは、このうち転位に強磁性を付与する技術について詳述します。プレスリリース論文等と併せて御覧下さい。





転位とは

結晶とは、原子が規則正しく配列して出来たものであり、一般の材料はこの結晶が幾つも集まってできています。このような材料中には、結晶と結晶とが接触している領域である「界面」や、規則正しく並んだ原子のうち1つが抜け落ちたり、本来の位置からズレて存在する「点欠陥」など、様々な欠陥が存在しています。これらの欠陥の中で、図1のように原子の配列が乱れた構造が、奥行き方向に一直線に続く線状の欠陥を「転位」と呼びます。




図1 転位の模式図。図中の丸は原子を表す。



転位の性質

結晶中の転位は、結晶を変形させる時、例えば材料を曲げる時などに導入されます。このため、転位を制御することは材料の強度、曲がりやすさを制御する上で非常に重要となります。一方で、電気を流す性質や磁石としての性質は結晶中に転位を導入することで悪くなる事が多くあります。このため、電気や磁気的な性質が必要となる材料からは、転位を排除するための努力がなされてきました。転位は欠陥のない結晶とは異なる性質を持っていますので、転位の性質が材料全体としての性質を害することがありますが、発想を転換して転位の特異な性質に着目すれば、原子レベルの局所的な領域に物性を付与できる可能性があります。当研究室ではこのような考えから、転位に様々な物性を付与して来ました。例えば電気を通さない絶縁体中に転位を導入し、転位の中に添加物を導入すると、図2のように局所的に電気を通すナノ細線を作製することができます。この技術は、半導体デバイスや酸化物デバイス中の超微細配線等としての利用が期待されます。
A. Nakamura, et al., Nature Mater. 2 (2003) 453-456.
Y. Tokumoto, et al., J. Appl. Phys. 106 (2009) 124307.他




図2 左:絶縁体であるアルミナ中の転位の原子分解能HAADF-STEM像。右:アルミナ中の転位にTiを偏析させた材料について導電性マッピングをした像。局所領域に導電性を付与することに成功している。


転位への磁性の付与

本研究では、上記のような考え方を応用して、磁石としての性質を持たない材料中の転位に磁石としての性質をもたせることを目標としました。このような目的を設定したのには、以下の様な理由があります。



・極微磁気デバイスへの応用

転位は原子レベルの微細な構造でありながら、奥行き方向の長さを持っています。このため、磁気的性質をごく狭い領域で発現させながら、奥行き方向の長さを使って強さを併せ持たせることが出来ると考えられます。磁気メモリや磁気演算素子などの開発が進むなか、デバイスの微細化が求められていることから、これに対応する技術を開発することを目的としています。


・一次元デバイス作製工程の短縮

これまで、一次元のデバイスは大きな材料から細長い構造を彫り出すことで作製されてきました。これに対し、本研究では薄膜を成膜するだけで自発的に導入される転位を利用し、そこに物性をもたせることを目的としています。これにより、従来の煩雑な工程を「薄膜の成膜」という一工程にまとめることができ、製造プロセスの大幅な簡略化を行うことができます。


・希薄磁性半導体における磁性の起源の一案

希薄磁性半導体とは、そのままでは磁性を持たない材料で、僅かな添加物を添加することで磁性が発現する材料のことです。一部の希薄磁性半導体では無添加でありながら磁性を示すものがあり、その起源は原子空孔や転位などであると考えられています。しかしながら、磁性が空孔や転位に由来するとする説は間接的な証拠により述べられており、これらの欠陥による磁性を直接的に観察した例はありません。本研究では、このような欠陥に由来した磁性の直接的な証拠を示すこともひとつの目的としています。




図3 結晶の中に微細な磁石が埋め込まれていることを示すアクリル模型の写真。



酸化ニッケル

本研究では、転位を酸化ニッケル単結晶に導入することで強磁性の転位を作製しました。酸化ニッケルは、室温で反強磁性を示す材料です。原子を構成する要素である電子には、材料の磁気的性質につながるスピンという性質があります。スピンには上向きと下向きがあり、結晶中のスピンが揃うとその材料は磁石としての性質を持ち、上向きスピンと下向きスピンの正味の数の和が等しいと磁性を持ちません。反強磁性体は、隣り合う原子サイトにおいて上向きスピンと下向きスピンが交互に配列することで全体として上下スピンの数が等しくなり、磁性を持たない材料です。反強磁性体は、上向きスピンと下向きスピンを交互に配列させる相互作用が非常に強いという特徴があります。酸化ニッケルはこのように、強磁性を示さない材料ですが、結晶中のニッケルと酸素の数の比を1:1からずらしてニッケルを欠損させることで、磁石としての性質を持たせることが出来ます。本研究では、転位において自発的にニッケルの欠損が生じ、強磁性が発現することを期待しました。




図4 酸化ニッケルの単位胞。緑の原子がニッケル、青の原子が酸素。ニッケル原子中に描かれている矢印がスピンを表す。酸化ニッケル中の隣り合うNiサイトでは上向きスピンと下向きスピンが交互に配列している。



パルスレーザー堆積法

酸化ニッケル中に高密度の転位を導入する手法として、本研究ではパルスレーザー堆積法により薄膜を成膜する手法を用いました。パルスレーザー堆積法とは、堆積させたい薄膜と同じ組成のターゲットを用意し、その反対側に薄膜の基板となる結晶を設置、ターゲットに強力なレーザーを照射してターゲット物質を基板に向けて飛ばすことで基板上に堆積させ、薄膜を成膜する手法です。基板に、酸化ニッケルとは原子の間隔が異なる材料を用いることで、その原子の間隔の差を緩和するために多数の転位が自発的に導入されます。


図5 パルスレーザー堆積法の模式図。



酸化ニッケル薄膜中個々の転位の磁性

酸化ニッケル薄膜中の転位における磁性は、磁気力顕微鏡により測定しました。磁気力顕微鏡は、強磁性体のコーティングを施した非常に細い針を試料表面に近づけ、針にかかる磁石の力を検出する手法です。図6左に磁気力顕微鏡と同時に取得した表面形状を、右に磁気力顕微鏡像を示しています。表面形状像中の窪みの位置(暗い領域)が、磁気力像中では明るく示されています。表面形状像の窪みが転位の位置に相当しますので、転位の位置で磁気力像中に特異なコントラストが観察されたことになります。個々で重要なのは、転位の位置で磁気力像中に周囲と異なる磁気力が検出されたということで、酸化ニッケルの転位のない領域は反強磁性であり針に磁気力を及ぼしませんので、転位の位置では針に磁気力が及ぼされていることになります。針に磁気力を及ぼすのは強磁性体だけですから、転位が強磁性を示していることがこの像からわかります。したがって、酸化ニッケルに転位を導入することにより強磁性を付与することに成功していることがわかります。




図6 左: 原子間力顕微鏡高さ像。試料の表面形状を表し、明るい位置が周囲より高く、暗い領域が周囲より低い。右: 磁気力顕微鏡像。周囲との色の違いが、針にかかる磁気力の違いを表す。



酸化ニッケル中転位強磁性の物性値

試料に様々な磁場を印加した後、MFMによる測定を行うことで、転位における磁石としての性質を反転させるのに必要な外部磁場である保持力を測定することが出来ます。この測定により、転位における強磁性の保持力が4Tを超えていることが明らかになりました。一般的な永久磁石の中で硬質なネオジム系磁石の保持力が1T程度であることを考えると、この転位における保持力は非常に大きいということができます。上に述べたとおり反強磁性のスピン配列は反転させることが難しく、転位における強磁性的なスピン配列も、周囲の酸化ニッケルの反強磁性的なスピン配列から強い拘束を受けていることによりこのような高い保持力が発現しているものと考えられます。また、強磁性体は温度を上げていくと強磁性的なスピン配列が崩れ、磁石としての性質を失います。この温度をキュリー点と呼びますが、酸化ニッケル中転位のキュリー点を測定したところ、240℃~260℃程度であり、酸化ニッケルの反強磁性的スピン配列が消失する252℃とおおよそ一致しました。このことも、転位における強磁性がバルクの反強磁性による強い拘束を受けていることを示しているものと考えられます。




転位における強磁性の起源

転位における強磁性の起源は、原子分解能で試料の構造を観察することが出来る高角環状暗視野走査透過型電子顕微鏡(HAADF-STEM)法と、STEMと組み合わせて原子レベルの局所領域において試料の電子状態を分析することが出来る電子線エネルギー損失分光(EELS)法を組み合わせて明らかにしました。図7左に転位における構造を観察したHAADF-STEM像を示しています。ここに観察されている転位コアにおいてEELSによる分析を行ったところ、転位コアにおいて局所的にNiが欠損した構造を取っていることが明らかになりました。このことから、転位コアにおいては図7右の図のように交互に並んだ上向きスピンと下向きスピンのNiサイトのうち、下向きスピンのサイトにのみ選択的にNi空孔が導入されることにより、上向きスピンと下向きスピンの数のバランスが崩れ、全体として強磁性が発現しているものと考えられます。このようなモデルを用いると、転位コアにおける強磁性は、周辺の領域における反強磁性的なスピン配列を崩さずに強磁性を発現するため、磁石のN極とS極を反転するのに非常に大きな外部磁場が必要になったことも説明がつきます。




図7 左: 酸化ニッケル薄膜中転位における原子分解能HAADF-STEM像。図中の白い点がNi原子とO原子が幾つか奥行き方向に重なった原子カラムを表す。右: 転位における強磁性の起源を表す模式図。オレンジで示された領域が転位コア、マゼンダの領域は反強磁性を示す領域。オレンジの矢印が上向きスピン、青の矢印が下向きスピンを表す。



スーパーコンピュータによる理論計算

上記のモデルが正しいことを確認するため、スーパーコンピュータを用いた第一原理理論計算を行いました。ここでいう第一原理計算とは、実験結果に基づかない計算によりバンド構造、本研究では特に磁性を求めることを目的とした計算です。この第一原理計算により、Ni空孔を伴わない転位においては強磁性は発現せず、一方のスピンのNiサイトにのみ空孔を導入することで強磁性が発現することが確認されました。この理論計算により、上記モデルの妥当性が確認されました。




本研究成果の応用用途

本研究成果は、反強磁性体である酸化ニッケル中に、超硬質な強磁性転位を導入することに成功したものです。保持力が高い強磁性相はピン層と呼ばれ、磁気メモリや磁気演算素子に欠かせない要素です。従来ピン層は、これまで反強磁性体上に強磁性体の薄膜を成膜することで作製されてきました。このような手法では、薄膜として2次元的な広がりを持つため、微細化が難しいという難点がありました。本研究の成果は、これを従来技術の1万分の1程度の面積にまで微細化することに成功しています。
磁気メモリ等にはピン層の他にフリー層と呼ばれる、反転させやすい強磁性の層があり、フリー層とピン層の磁石の向きが揃っている時に電気を流そうとすると抵抗が低く、反対向きになっていると抵抗が高くなるよう設計されています。弱い外部磁場をかけるとフリー層の磁石の向きだけが反転するため、外部磁場によりスイッチ動作をさせることが出来る素子となっています。
本研究で開発された技術に、当研究室が過去に開発した転位に添加物を導入する技術を組み合わせることで、硬質な強磁性を発現する転位中に軟質な強磁性の不純物細線を作り込むことで原子レベルの微細な磁気演算素子を作製することが出来ると考えられます。これにより、磁気デバイスの大幅な微細化が期待できます。本研究により開発された技術につきましては、下記連絡先あるいは東京大学TLOにご相談下さい。本技術は、特許を出願中です。
特願2012-170951



連絡先(HPへのリンクです)

  • 幾原雄一教授(本研究全般)
  • 杉山一生(本研究全般)
  • 東京大学TLO(知財について)